かさぶた治療院ができるまで

「あなたの夢は何ですか?」

子供の頃、よく聞かれた言葉だった。

子供の頃はこれといってやりたいことは無かった。

作文を書く時には、となりの席の子や、友達が書くのを覗いて自分も同じように書いていた。

中学生になって、「どうせ1度キリの人生なんだから、何か大きいことをやってみたい。」そう考える様になっていた。

でも、「それがいったい何?」と言われると答えは出ませんでした。

ただ、「夢」とか「目標」とかその言葉が好きで、

「夢や目標はいつも持っていたい」それだけは頭の中で繰り返していた記憶がある。

中学1年生の時に怪我をした。その後、6年間、色々な病院や治療院を転々として、多くの医療関係者の方達と関わった。

それがキッカケに、高校を卒業する頃には治療家を目指すようになっていた。

「治療家になって色んな人を助けたい。」

「どうせ、治療家になるなら、誰にも救ってもらえない様な人を救いたい。」

18歳になり、鍼灸師になる為に学校に通い始めた。

この頃には「こんな鍼灸師になりたい」とか、「どんな病気でも治せるような技術を身に付けたい」とか。

その時、その時で、夢とまでは言えないものの、目標をもっていたと思う。

しかし、実際に鍼灸師となってその目標を一つずつ叶えていくと同時に、

その目標や夢に近くなったハズなのに、かえって曖昧で(ちょっと言葉を考え直す)、霞んでいくように感じた。

夢や目標が「仕事」に変わってしまったからだろうか?

鍼灸師として、ほぼ毎日臨床や鍼灸学校の講師として仕事をするようになって数年が経った。

ある時、久しぶりに海外に一人旅に出ました。

一人旅している時に、ちょっと酔っ払ったおじさんが

「夢ってのは何歳になったって持っていなくちゃいけないんだ」と叫びながら歩いていた。

大して英語が話せるわけじゃない自分なのに、なぜかその時はスッと日本語を聞いているかのように耳に入って来た。

自分の夢は何だろう?

少し忘れかけていたように思う。

夢だった鍼灸師にもなった。

肩こりや腰痛ばかりでなく、内科疾患やちょっと難しい疾患も治療できるようになった。

今となっては難治性の疾患も治療するようになった。

自分自身の臨床だけでなく、今後の鍼灸師を育成するために鍼灸教育にも携わった。

「次の目標はなんだろう?」「もっと難しい疾患?」「もっと沢山の人を治療すること?」

それをしたくないわけではないけれど、もっと違うことがあるんじゃないか。

「みんなが幸せになれたら」すごく曖昧な夢だけど、

自分に何かできないだろうか?少し考えるようになった。

鍼灸師として、亡くなる直前まで患者さんの治療に携わることが何度もあった。

「1日でも長く」「少しでも楽に」みんなそう願っていると思っていた。

でも、たまに見るニュースは、悲しいニュースが多い。 孤独死、自殺、子どもの虐待。

「1日でも長く生きたい」と思う人がいる一方で、自分で死を選ぶ人もいるし、

誰にも助けを求めることができずに亡くなる人もいる。

ニュースを聞いていると辛くなる。

できることなら、そのホンノ数秒前にタイムスリップしてすべての人を救ってあげたい。

児童相談所とか、カウンセラーになることも考えた。

でも、何か違った。

鍼灸師として自分に何ができるんだろう。

それなら、

鍼灸師として「みんなの居場所をつくりたい」と思うようになった。

よく「こども110番の家」ってのが住宅街にあったりするけど、

「こどもだけじゃなくって大人だって駆け込みたいような事あるよな」

それなら、自分の作る鍼灸院をそんな空間にしたい。

自分が尊敬する心理学の先生が「相談室ってのは周りの目が気になるから入りずらい」そう言っていたことを思い出した。

それなら、なおさら、「鍼灸院」が役に立つんじゃないか?

鍼灸院だったら、周りの目を気にせずに立ち寄ることができる。

「今日は家に帰る前にホッとしたいな」

「ちょっと誰かと話したいな」

「誰とも話したくないけど、誰かがいる場所に居たい」

治療の予約が無くても、ちょっと待合スペースなんかで本を読んだり、ボーっと出来て、気が済んだら家に帰る。

そんな空間をつくりたい。

そして、そこに携わる鍼灸師も夢を持つ多くの人が関われるようになったら。

技術や能力はあるのに、臨床をする場が見つからない鍼灸師。

子育てや介護などで、なかなか臨床に携わることができないお母さん鍼灸師。

夢や目標を持っている鍼灸師が好きな治療をトコトン追究できる空間にしたい。

それが自分の鍼灸師としての次の夢にしようと思いました。